「晴れの国おかやま」に暮らす、とあるカァチャンの愛にまみれた奮闘記。
スイマセンね〜、みなさま。
心配かけてるわりに、今晩は外出してました。
ま、もちろんお迎え来てもらったんですケド。
神戸から来岡の友人と、地元岡山の友人とのご縁をつなぐため。
やっぱり、
大好きな友と、大好きな友のご縁がつながる瞬間。
なんとも言えず、HAPPYですね〜。
今宵の岡山(一部?)は、めちゃめちゃスゴイ霧に包まれております。
ブルームーンに、濃く真っ白な霧。
なにやらこれから始まる、まだ見ぬ世界の幕開けのようで、
なんだか妙にわくわくしたワタシです
腰は相変わらず痛いですが、今日は久々いい気分で眠れそうです。
早くも2月がスタートする明日、
「愛ハモ有志の会」は、予定通り開催します。
am10時半〜 さおりんのサロン愛織にて。
各自、昼食&飲み物ご持参くださいね。
よろしくお願いいたします。
at 22:37, naosun(なおさん), -
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点字ブロックなどの考案者として、
盲人の交通安全設備の開発と普及に情熱を傾け、
その半生を捧げた三宅精一氏。
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大正15年 2月5日。
父親・皎一、母親・末子のあいだの長男として、
岡山県倉敷市に誕生した三宅精一。
小さい頃の精一は、やんちゃでけんか好き、
とても手におえない子であったようだが、
兄弟たちの面倒見はよく、動物好きで、
気のやさしい一面も存分にのぞかせていたようだ。
そんな、心根は優しく、
けれど、向こう意気も強かった精一だからこそ、
失明途上にある友人、岩橋英行氏の、
苦しむ姿を目の当たりにしたことをきっかけとして、
まだまだ障害者に対する理解の乏しかった時代、
自らの全身全霊を傾倒し、
点字ブロックの開発・普及に取り組むことが出来たのだとワタシは思う。
障害者である前に人間であり、
閉ざされ隔離された世界の外にこそ、人間の住む世界がある。
そう信じた精一の、
私財を投じた、文字通り命懸けの事業として、
点字ブロックはこの世に誕生したが、
その普及活動は困難を極めた。
その時、精一を支えた言葉は、
点字ブロック考案のきっかけでもあった、友人岩橋氏の以下の言葉である。
『一般社会では石の上にも三年というが、
こと盲人の世界はその倍、
「石の上に六年」座って始めて仕事の重要さを知り、
またやっと他人からも知ってもらえる。』
そして、精一は後にこう語っている。
『何の目標もなく、ただやみくもに砂漠の中を歩いているようで、
いつこの旅が終わるのやら、石上にも六年と、バカのように信じ、
ひたすら歩き続けました。』
多くの人がそのゴール目前にして挫折してしまう、
「プロセス」という名の険しき道程の直中にあって、
やはり、精一が言うように、“バカのように信じて歩き続ける”こと以上に、
物事を好転させうる力となるものを、ワタシは知らない。
それは、「挫折」という文字を見てもわかる。
歩き続ける限り、人は、必ずどこかへたどり着く。
「冬来たりなば、春遠からじ」である。
夜こそ、朝への、もっとも近道。
そして、資金は底をつき、
忍耐も限界となったどん底の6年目を越え、
ついに迎えた7年目。
まさに事態は急展開を見せる。
ある初春の日、
東京都道路局より入った一本の電話を皮切りに、
やがてその果報が果報を呼ぶ形で、
点字ブロックは日本全国へ面白いほどの広がりを見せていく。
けれど、そうなればそうなったからこその、
苦悩が精一の身にあったのも、これまた事実のようである。
その様子を、岩橋氏は以下のように語っている。
「世の中は、実に見苦しいものである。
精一が苦しみ、悩み、まさに破産寸前まで追い込まれた時は、
誰ひとり点字ブロックに耳を傾け、注目しようとはしなかった。
それがこうして全国に普及し、主要都市にこれが敷き詰められて、
盲人の単独歩行と交通安全、社会参加への自立が叫ばれだすや、
いかがわしい類似品が姿をあらわし始めたのである。
まさに盲人をダシにした金儲け主義の台頭である。」
そして、どうやらそのことが、
今や世界中で盲人を助ける点字ブロックが、
その開発者の名前どころか、
発祥の地さえも広く世間に知られぬまま、
日本の主要都市・主要駅にとその敷設距離を
どんどん延長していったことの背景としてあるようだ。
そんな中、長年の過労と心労から、
57歳という若さで精一はこの世を去った。
彼の霊前には、
もっともふさわしいこんな言葉が手向けられたそうだ。
【あなたのランプの灯を、今少し高く掲げてください。
見えぬ方々の行く手を照らすために。 ヘレンケラー】
ワタシは、
この、三宅精一という一人の人間が、
まさにその生涯をかけ灯した「愛」という名のランプの灯を、
決して消失することのなきよう、
大切に、その思いを歌に込め、
後世へと歌い継いでいけたらと思っている。
naosun 愛
【参考文献】
白浪に向かいて/三宅精一を語る 岩橋英行
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今日、OHKの方が送って来てくれた画像。
もちろん他にもあったけど、公開出来ません・・・・・・・・・・。
だって、顔が・・・・・・・・・・。
「顔面凶器」騒動、今日もまだ続いております。
(みんな、もうメールも電話もいいよ・・・・・・・。わかったから・・・・。)
今日は、「愛ハモ有志の会」2回目。
平日昼間に関わらず、9人もの有志が集まってくれました。
一般素人陣、曲作り顔晴っております。
っとはいえ、やっぱりすげ〜〜〜〜!!
人間、数人集まったら、出来んことってマジないね。
すでに、メロディーを仕上げていた人。
そのメロディーを、そばで譜面におこす人。
天才じゃね〜〜〜〜っ!!!
ホンマ、みんな素晴らしい!!!
ワタシ?
出来ること、な〜〜〜ンもね〜〜〜〜っす♪
ワタシは今日またもや、突然腰に電気が走り、
ハイ・・・・。 真っ直ぐ立つことも出来ね〜〜〜。(T-T)
だから、本当は、
有志の会までに、目隠しをした状態で外を歩いてみるつもりが、
仕方なく、この状態で家事をしてみたりしました。
そして、いろんなことに気が付きました。
インスタントコーヒーでさえ、ちゃんと入れることが出来ない。
だって、粉の分量がわからない。
お湯を注ぐのも恐かった〜〜〜。
そして、一苦労の末、入れたコーヒーがめっちゃ濃い!!!
その他いろんなことをしてみましたが、
いつもの何倍も神経を研ぎ澄まさねばならず、
異常にグッタリ疲れ果てました。
そして、一つ発見したのは、
その濃すぎて飲めなかったコーヒー、
目隠しを外して見てみると、さほど色は濃くない様子。
「まさか!?」と思って飲んでみると、
そうなんです、大して苦くないんです。
やっぱり「味覚」って、目が果たしてる役割がデカイらしい・・・・・・。
(曲作りの参考になる情報は・・・? ナイ。)
そんなこんなで、
今日のワタシは、ヨチヨチひよこ(カワイイ♪)のようにしか歩けず、
ただの役立たずだったのですが、(そのせいじゃないだろ!!)
なんかね〜。
仲間の、
『今いろいろ抱えて大変なのよね〜〜〜。』という、
何も聞かぬまま、すべてを察し尽くすような、温かな保護と守護と介護が、
本当に、本当に、ありがたくて、うれしかった・・・・・・・。
ホンマ、すばらしいメンツが集まってます。
どうぞ、いつでも、どなたでも、ご参加くださいね。
日も差し迫っているもんで、
次回有志の会、2月1日(月)10時半〜です。
場所は、岡南シネマタウンの程近く。
どうぞお気軽にお問合せくださいね。(^^)
info★naosun.net(★は@です)
at 20:04, naosun(なおさん), -
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at 23:33, naosun(なおさん), -
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しまった、しまった島倉千代子。
もう、、、、、ほっといてください。
顔が怒っとったんやろ?
ワタシ、観てね〜もん。
生放送やし。
うち、録画出来んし。
メール、いっぱいもらったのに、一つも返事してなくてゴメン。
疲れた・・・・・・・・。
『なんかあったん?』
そう聞いてくれた、もっともワタシをよく知る人。
はい・・・、不調でした・・・・・・・・・。
怒ってないよ?
でも、顔に出てたんだってな〜〜〜〜〜。
朝から激しい下痢。
腹に据えかねた感情が、尻から噴出しとりました。
(他に言い方あるだろう?)
いろいろあるんすわ。
その時、その時、その立ち位置で。
『いちいち気にしてもしょうがない。』
わかっててもな〜〜〜〜。
重なるとキツイ。
人が思う、何百倍も、
一人、一人の存在がイヤというほど大切なワタシにとっては、
「気にしてもしょうがない」ことが、
とても、大きい。
とても、気になる。
でもな、いつか真意は伝わるやろう。
そう信じて。
今は黙って、前を向こう。
下痢しながらでもよ〜。
でも、ホンマ、
どんだけすんごい動きに関わっとんか、
今日はホンマに痛感した。
出番はあんなやったけど、
そら、そら、そら、そらもう、、、、ですわ・・・・・・・・。
(どんだけ公表していいのかわからない。)
これから、ますますこの動きはスンゲ〜事業になっていくんやろう。
間違いなく、岡山県を挙げての動きになっていくんやろう。
それは、実感した。
なにより、
『なにかあった?』と察してくれる人がいること。
疲れた帰宅後に見た、この置手紙。
『収録後、仕事に行くから少し遅くなる』と伝えてあった長女が、
自分がバスケの練習に行く際、
独りぼっちになる次女へ、書いていったものらしい。
驚きと共に、なんか、ホンマに幸せやな〜と思った。
そんなこと、もう、あえて言いたくもないけど。
「愛」は、いつも目の前にある。
いつも、いつも、
見えないほどに、自然で、
見えないほどに、近くに。
『こんばんは、naOH!くんです♪』
・・・・・って、やる元気が今日はナイ。
あ、やらんでええん?
元気じゃったらな〜。
黒いブラジャー頭にかぶって、
『OH!』って、言うとこやってんけどな。
今度生まれてくる時は、
無表情でも、笑っとるように見える顔に生まれてきます。
あ、今思い出した・・・・・。
ワタシ、昔からテレビに出てもこんな顔しか出けん人で、
西川きよしには、『今、なにが起きたかわかってる?』と聞かれたし、
ビートたけしには、『鼻血出てるよ。』と騙された・・・・・・・・・・・。
こんな顔で悪かったな。(-_-メ)
at 20:22, naosun(なおさん), -
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先日、ココでもご紹介したように、
岡山県は、「点字ブロック」発祥の地です。
今、道路や駅ホームなどをはじめとした、
いたるところで当たり前に目にする、点字ブロックは、
昭和42年3月18日、世界初、岡山市の原尾島交差点に敷設されました。
そして、先日も書きましたように、
その「点字ブロック」は、一市民、一個人の手により開発され、
文字通り、血の滲むような努力の末、
この岡山をスタート地点に、
日本全国、さらには、世界各国へと広がっていったものです。
けれど、少し前までのワタシがそうであったように、
多くの岡山県民でさえも、
この岡山が「点字ブロック発祥の地」である事実を、
知らない人がほとんどです。
・・・・っというより、
『知ってる』と答える人に、ワタシはまだ一度たりとも出逢えません。
そこで、今回、
その歴史的事実を内外に発信すると共に、
歴史的遺産として後世に伝える。
そしてまた、視覚障害者への理解を深め、
広く障害者福祉に貢献するという、大きく二つの趣意の元、
「点字ブロック発祥の地モニュメント設置委員会」が、
昨年11月に組織されました。
そして、ワタシは、そのそうそうたる顔ぶれが出揃う実行委員会の席に、
どういうわけだかメンバー入りし、参加させていただいております。
ワタシは、お誘いいただいた時、
『ワタシなんかが?』と当然のように言いました。が、
『もちろん!』とのお返事に、
これも何かのご縁なのだろうからと、出向くことに決めました。
でも、どう見ても聞いても、場違い感満載の会議の席にお邪魔するたび、
どうしても「違和感」を感じずにはいられませんでした。
ワタシが一言の発言をせずとも、
一円の出費をせずとも、
このモニュメントはなんの滞りもなく出来上がる。
そんなことは火を見るより明らかな事実でした。
誰も、ワタシに別段なにも期待などしていないこともわかっていました。
でも、ワタシは考えました。
ただ座っているためだけに、ココに呼ばれたはずはない。
そうして何度も、「ココに居る意味」を、自分自身に問いました。
そして、先日ご紹介した、すでに廃盤となっているこの本を探したのです。
読み、心震え、涙しました。
(その内容については、後日詳しくご説明します。)
そして今日、ワタシは、
今まで一度も発言することのなかった会議で勇気を振り絞り提案しました。
『今、この情報化社会において、
目で見る情報に翻弄されるではなく、
もっと、心でものを見る大切さを歌った歌を、
この点字ブロックの事業に乗せて作りたい。
それを、顔晴れOKAYAMAでやらせていただきたいと思います!!』
モニュメントを作って、
記念式典をして、終わり、ではなく、
もっと、「心」で「心」に語り伝えたい。
この「点字ブロック」開発者、
三宅精一さんが、他を思いやる「心」で成した、
この偉業に込めた「思い」を。
目が見えない方たちとも、歌なら一緒に歌えるし、
歌は、世代を越え、国境を越え、障害をも越えることが出来るはず。
そして、そのワタシの提案を、
そこにいらっしゃったすべてのみなさんが、
とても快く歓迎してくださり、
モニュメント設置記念セレモニーや、記念講演会の席での披露、
はたまた、末は予定しているDVD製作のバックミュージック、
更には、CD製作の可能性まで示唆してくださいました。
モニュメント設置記念セレモニーは、
点字ブロック初敷設の記念日でもある、3月18日。
もちろん、今年の再来月の話です。
さぁ、困ったこと・・・・(弱っ)、
いや、すんばらしいことになって来ました!!
今顔晴らずに、いつ顔晴る!!
我ら、「NO TEAM」、
解散を目前にした愛の波紋プロジェクト「顔晴れOKAYAMA」が、
後世まで「愛」を語り継ぐための、
絶好の契機に恵まれることになりました!!
どうぞ、「みんなの力」で完成させましょう。
ずっと、どういうわけだか動き出さなかった「愛の歌企画」が、
こんな素晴らしい形で今やっと始動することとなりました。
まずは、来月の会議、2月17日にある程度の形を持っていけるよう、
有志で「愛コトバ」を持ち寄り、つなげ、歌詞を作りましょう。
次回ミーティングは、28日です。
ご参加くださる方は、
下記までご連絡いただけますようよろしくお願いいたします。
info★naosun.net(★は@です)
ちなみに、モニュメント設置記念セレモニーは、
3月18日(木) モニュメント設置場所(原尾島交差点)
モニュメント設置記念講演会は、3月20日(土)
山陽新聞 さん太ホールです。
もちろん、マスコミ各社が入ります。
ダイエット、発声練習、シミ・シワ取りなど、
各自、心のご準備&見た目のご準備、よろしくお願いいたします。
それに先立ちまして、
明後日、14時頃〜OHKの生番組、「温★タイム」に、
今回の事業についてのPRで、
急遽ちょこっとだけ出演することになりました。
お時間がある方は見てください。
おぅ!!ダイエットが間にあわね〜〜〜!!
テレビに映ってるワタシは、普段の5割増しです。
目を細めてご覧ください。
さぁ、まさに地中に深く根を張るように今日まで歩んで来た「愛ハモ」が、
やっと、お天道さまの元に顔を出してゆく時が
やって来たのかもしれません。
今こそ顔晴れ!!我ら小市民!!!
今日ココまでを共に歩んでくださったみなさん、
本当にありがとうございます。
一小市民、一個人が、「無力」なんかじゃないと知るその瞬間。
どうぞ、共に味わってほしいと願います。
空ばぁ晴れでもおえりゃ〜せんでっ!
顔晴れOKAYAMA!!
at 22:46, naosun(なおさん), -
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