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絶望なう



久しぶりに、死にたいと思って涙が出た。

ひどい痛みが続いている。

いろんな苦しみを知って来たけど、
止まない体の痛みほど、心を壊すものはない。

どんな手を使っても、逃れようがないのだから。

それが、もう五年近く、24時間続いてる。


今日からパソコン教室がスタートだった。

明日からは手話講座が。

ようやく踏み出した一歩も、体調のせいで水の泡。

やりたいことが、普通に出来ない。

やろうとしても、出来ない。



一昨日の夜からティッシュペーパーが一枚もないのに、

近所のスーパーにすら、行けない。

子供たちは、毎日、帰りが遅い。

そんな時、「ああ疲れた、死にたい…」と思う。

自然と涙があふれてくる。

でも、それを拭うティッシュペーパーはない。


そして余計に、

「ああ疲れた、死にたい…」と思う。


でも子供たちが、

「ママはティッシュペーパーがなくて死んだんだ…」と、

後々悔やむのはあまりにも切ない。



三日前、とある集まりがあって、

そこで、友人の子供が、椅子に座るわたしの膝に乗ったり、手を引っ張ったりした。

小学一年生の、しかも小柄な女の子のすることだから、大したことはない。
心ではとても愛おしく、幸せに思った。

それでも、「やめて」と払いのけざるを得ぬことが辛かった。


その夜から激痛になった。

たったそれだけのことで、もう何日もわたしはまともに歩けない。

この分だと、孫の守りなどとてもじゃない。

赤子を抱くことすら出来ないだろう。


でも、その会場にいた誰が、わたしがそこまでの状態だと思っただろう。

誰一人いないと思う。


わたしは、今なお、そういう人間。



悩んで、悩んで、苦しんで、苦しんで、

最後の砦だった、理学療法にも半分見捨てられて、

ついに、岡大を受診することに決めた。







同じ病に苦しむ人もいるから、ここには書かないけど、

わたしなりに勉強して、勉強して、

これまで選択してきた療法も、病気との付き合い方も、

これまで何度も何度も何度も、限界と思いながら超えてきたガマンの壁も、

もう、本当に限界で、超えられないのかもしれない。


病気のおかげで、この5年で、

わたしは、それ以前とは、全く違う価値観を持った。

ずいぶんなリアリストになった。


心の問題、目に見えぬ問題、

ありとあらゆる角度で掘り下げてみても、

病は病。


医学が、すべてを解読しているわけじゃないから、お医者さんの言うことがすべてだとは、わたしは全く思わないし、

かといって、

それを霊障だの、潜在意識の現れだのという理解も、

もーお腹いっぱい、ジョーダンはヨシ子さんという戯言だ。


万策尽きた。


そんな時、人は消えたくなるんだろう。

わたしも今がそう。


でも、かすかな、わずかな、光を求めて、

一度は諦めた、現代医療に飛び込んでみようと思う。


傷付く覚悟は出来た。

というより、


もう、これ以上は、ない。


もう、散々、傷だらけ。


毎日、毎日、毎日、

わたしを励まし続けてくれる、

わたしが、今世出会った中で、

最も、真に痛みを知る人の深い愛情が、

わたしをギリギリのところで支えてる。

その愛が、あの愛が、この愛が、なければ、

私はとっくに諦めていた。


ごめんな、ごめんなって、

なにもしてあげれなくて、ごめんなって、

わたしを思う人たちはみんな言う。


それが、とても悲しい。


長年のボランティアで、偽善者と笑われたわたしも、

今では、人一倍、リアリスト。


治ることない病や、障害を生きる人の苦しみが、


我が事として、ここに在り、


今は、全てが綺麗事で、絵空事に見えて仕方ない。






at 14:45, naosun(なおさん), -

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